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小林簡易裁判所 昭和44年(ろ)4号 判決

被告人 広瀬志充

昭二一・六・四生 自動車運転手

主文

被告人を罰金二万五〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

被告人に対してはこの判決確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

証人河野政司、同竹崎末雄に支給した日当、旅費は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転の業務に従事する者であるところ、昭和四四年二月二五日午後一時三〇分頃、六トン積大型貨物自動車に二・五トン位の積荷をして運転し、西諸県郡えびの町杉水流一三九三の三番地先の幅員約七米の国道を、小林市方向から京町方向に向け時速約四〇キロメートルで進行したが同所は被告人の進路である道路左半分が、舗装工事のため路面にアスファルト乳剤が撒布してあり、且つ下り約一〇〇分の四勾配になつていてスリップし易い状態であつて、なお進路前方七〇メートル以上は左にカーブして見透が利かないので、このような場合運転者としては、ハンドルを確実に操作し、速度を調節して急激な制動措置を避けて運転すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、単に速度を二〇キロメートル位に下げたのみで進行し、道路前方に停車中の普通貨物自動車を約五三メートル前方に認めたが、その直前で停止できるものと軽信し、漫然約二〇メートル進行した地点で停車のため急ブレーキを踏んだ結果、スリップして操作の自由を失ない、そのまま惰行して右車に追突し、更に同車の直前に立つていた河野政司(当三二歳)に同車を衝突させて、同人に対して治療約八〇日を要する下腿打撲症などの傷害を与えたものである。

(証拠の標目)(略)

(適用した法令)

刑法第二一一条前段(罰金刑選択)、罰金等臨時措置法第三条、刑法第一八条、第二五条第一項、刑事訴訟法第一八一条第一項

(公訴事実でいう注意義務について)

本件公訴事実は、被告人は前示認定の日時、場所を認定のとおり進行したものであるが「同所は道路左半分が舗装工事のため、路面にコールタールを撒布しており、且つ下り勾配になつていてスリップしやすい状態であつたので、かような場合運転者としては、スリップしやすい道路左半分の通行を避けて右半分を通行するか、強いて左半分を通行する際は徐行して運転すべき注意義務がある。」というのである。ところで右「徐行」については前示認定のとおり訴因が変更されたので、その前段につき検討する。

前掲証拠並びに証人高下茂雄、同宮本清利の各供述を綜合すると、本件道路は、都城市から人吉市に通る国道二二一号線で、宮崎交通株式会社の小林、京町間のバス路線であるところ、歩車道の区別のない幅員約七メートルの狭い道路であるにかかわらず、日中における交通はひんぱんである。(現に検証時の午後二時から三〇分間の往復通過車両は、二輪車を除き、計一五〇台、うち大型車三一台であつた。)そして被告人の進行した小林市方面(東南東)から京町方面(西北西)に向け下り勾配となり、被告人運転の車両(以下被告車という)と被害者運転の車両(以下被害車という)とが接触した地点附近を頂点として左(南)方にカーブしており、その頂点附近左側は、倉庫などが建設された高さ一ないし二メートルの土手が道路に接している。従つて右頂点附近に到らなければその前方(西)の道路の見通しはできない。そして本件事故発生当時は、右道路は南側(被告人の進行方向から見て左側)と北側(同上右側)に区分して、二段階によるアスファルト舗装工事施行中で、既に両側の第一段階工事を終り、続いて南側について前記両車接触地点の西方(京町方面)約五メートル附近まで、第二段階工事としてアスファルト合材を敷き込み、引続き東方(小林方面)に向け合材を敷き込む準備中で、右接触地点より約五〇メートル東方路面には、第一段階と第二段階の合材の接着としてアスアァルト乳剤が撒布されていた。しかし工事中の標識もなく、交通整理もなされてなく、又工事従事者の姿も見えなかつたため、被告人は右のような工事の進行状態を予見又は予測しうる状況ではなかつた。なお本件事故後前記カーブの頂点附近に警察官の指示により交通整理員を配置したものである。

以上の事実が認められる。

道路交通法第一七条第三項によると、車両の通行は道路左側であることを原則とし、同条第四項に例外として右側を通行しうる場合を規定している。そこで本件の場合、被告人が同項第三号の「道路工事その他の障害のため」として右側を通行せねばならない注意義務があるかどうかを考えるに、被告人の検察官に対する第二回供述調書によると、被告人は「当時対向車があつて道路の右半分が通れなかつたので、左半分を通ろうとしたのであります。対向車がある場合は、アスファルト工事現場の手前で一たん停車して、対向車の通過を待つて通るべきでしたが、アスファルト塗装工事をしているところがどこまで続いているかわからないし、カーブがあつて先の見通しがきかないので、右側を行つて又対向車があつたら困ると思つて左側を走つた」旨供述している。従つて被告人としては、進路上にアスファルト乳剤が撒布してあり多少スリップすることは予測されたが、前示のとおり道路工事中の標示はなく、又交通整理も行なわれず、工事従業者の姿も見えないばかりか、七〇メートル以上の前方はカーブのため見通せない状況にあり、反面道路幅が狭い(片側有効幅員三メートル余)のに交通がひんぱんで、もし右側を進行して対向車が来た場合、接触のおそれも予測されるので一応速度を落して左側を進行したものである。又被告車に先行した被害車の運転者である証人河野政司も、道路工事中であることの周知措置がとられてなかつたので、何の懸念もなくアスファルト乳剤の撒布地帯に乗り入れた(同人はスリップすることを知らなかつた)ところ、ハンドルをとられて左前車輪を側溝に落した旨供述している。以上の事実から見て、右のような状況の下で、一般に自動車運転者としては、原則に従つて左側を通行するのが通常であると考えられる。そして例外としての右側通行をすることができる場合の「道路工事その他の障害」とは、運転者が、客観的に道路工事が現に行われているとか、路上に岩石、土砂などが積重ねられて、左側通行ができないことを明らかに認識した場合にかぎるものと解すべきであり、このように解さなければ、慎重に運転すれば左側を通行し得るのに、安易に操縦の楽な右側を通行することになり、交通の混乱を起し、前記法第一七条の精神は失なわれる結果となる。従つて本件の場合、被告人が左側通行したのは当然の行為であつて、被告人に対する前記右側通行の注意義務違反の訴因については罪とならないものと認められるが、それは訴因の一部に関するものであるから、主文において、特に無罪の言渡しをしない。

(執行猶予を付した理由)

本件事故の発生は、前示認定のとおり被告人の進路にアスファルト乳剤が撒布してあり、且つ下り勾配の道路を、積荷のある大型車を運転進行するのであるから、被告人としては、急激な制動措置を避けるよう速度を調節しなければならないのに、速度を二〇キロメートルに落すにチエンヂギアーをサード(ギアーは五段となつている)とし、アクセルに足をかけていたもので、この場合被告人がギアーを、セカンド又はローまで落し、ブレーキを軽く踏みながら速度を調節し進行しておれば、急制動をせずに停車し、仮りに幾分スリップすることあるも、本件事故は発生していなかつたものと考えられ、被告人の慎重さが欠けていたものと認められる。しかし前示のような道路において舗装工事に従事する者は、工事中の標示をするとともに交通整理員を配置して、交通の安全と円滑を図るべき責務があり、これを果さなかつたことが本件事故の最大の原因と認められる。一方被害者においても、自己がスリップすることを知らずして操作の自由を失つたのであるから、後続車にも同じような失策をする者があることが予測され、そのような場合、自車に追突される危険があるので、後方を注意し、危害が及ばないような方策を講じなければならないのに、漫然自車の前方に在つて、自車の脱輪状態を見ていた点に、その過失があると認められる。このような第三者及び被害者の過失と、被告人の前記過失との比照、並びに被害者が医療費などの支払いを受け、被告人をゆるしている点を綜合して、その刑の執行を猶予した。

(訴訟費用の負担について)

本件は、略式命令請求として公訴提起されたものであるが、前記訴因がその提出の証拠(殊に司法巡査作成の実況見分調書添付写真が全部、事故当時の道路でなく、舗装工事完了後の道路を撮影したものである。)により認めがたいとして、正式裁判に移行されたもので、そのかぎりにおいては被告人の責に帰すべきではない。しかし前掲罪となるべき事実認定の証拠となつた、証人両名に対し支給した旅費、日当は、被告人の責に帰すべきものと認められるので、刑事訴訟法第一八一条第一項に従いこれを被告人に負担させ、その余は同条第三項及び同法第三六八条の趣旨に則り、被告人には負担させないこととした。

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